クモ膜下出血 (SAH) の疫学研究

2002年~2005年

 

JACC Study ; 文部科学省科学研究費がん特定領域大規模コホート研究

研究結果公表のホームページ; http://www.aichi-med-u.ac.jp/jacc/index.html

 

愛知医科大学医学部公衆衛生学 玉腰暁子教授が研究代表者を務められ、北海道から九州まで全国の公衆衛生学・疫学の教室が協力して、今も継続されている大規模コホート研究。

私が大学院時代にお世話になっていた京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 環境衛生学分野 小泉昭夫教授がメンバーであり、クモ膜下出血の危険因子について研究させて頂く機会を与えて頂いた。この研究をきっかけに疫学研究、統計解析の基礎を学ぶことができた。

 

JACC Studyでは、198890年に全国45地区で、40歳から79歳までの約11万人の一般人にご協力をいただき、病歴や生活習慣についてアンケートし、約10年間の毎年追跡調査を行った結果を集計した。

<クモ膜下出血の自然歴>

  脳卒中全体の死亡率は減少傾向を示しているが、脳卒中のなかでクモ膜下出血の死亡率は約3267%と未だに高い疾患であり、日本では毎年人口10万人当り約20人の人がクモ膜下出血を発症し、これが原因となり約11人の人が亡くなっている死亡率の高い疾患である。

 

クモ膜下出血死亡に関連したリスク要因

   クモ膜下出血は女性の方が男性よりも発症率が高く、JACC Studyではクモ膜下出血による年間死亡率は10万人当たり男性19.5人、女性24.6人と、男性 よりも女性の方が1.26倍高かった。しかし、年代別にみると40代、50代では男性の方が多く、60代、70代で女性の方が多かった。

この年齢によるクモ膜下出血の発症・死亡の男女差は女性ホルモンが関与している可能性が示唆された。


高血圧症脳卒中の家族歴喫煙習慣は、男女ともに共通する重要なクモ膜下出血死亡のリスク要因であることを確認した。また、塩分の高い食事を好む食習慣は、高血圧症を介してクモ膜下出血死亡のリスク上昇に関与していることを確認した。

                  

多量飲酒(一日の平均飲酒量が日本酒換算で2合以上)は、クモ膜下出血のリスク要因と報告されており、本研究でも単変量解析で男性に有意なリスクの上昇が認められたが、高血圧症と脳卒中の家族歴で交絡を受けており、多変量解析では有意差が得られなかった。

 

やせ体型 (BMI < 18.5)は、標準体型と比較して、特に男性で有意なクモ膜下出血死亡のリスク要因であることを確認した。

クモ膜下出血は、やせ体型がリスク上昇に、肥満体型がリスク低下に関与すると報告されており、動脈硬化が主因と考えられる虚血性脳卒中や虚血性心疾患、胸腹部大動脈瘤とは発症メカニズムが異なる可能性を示唆している。

 

精神的なストレスが、特に女性において有意なクモ膜下出血死亡のリスク要因であることが同定された。これまでに他の疫学研究から、精神的なストレスとクモ膜下出血に関連した報告はなく、今後さらに検証していく必要がある。

 

輸血の既往歴が、特に男性において有意なクモ膜下出血死亡のリスク要因であることが同定された。輸血歴がクモ膜下出血の発症に関与するメカニズムとして、輸血後感染による慢性炎症と輸血後の免疫修飾現象(transfusion-related immunomodulationTRIM)が考えられた。輸血歴とクモ膜下出血に関する報告は本研究より他にはなく、今後さらに検証していく必要がある。

 


輸血歴と脳卒中・虚血性心疾患の関連性

先行研究として、JACC Study研究で、脳卒中疾病の中で最も死亡率の高い疾患である『くも膜下出血』について、その死亡関連リスク要因を網羅的に解析したところ、これまで報告されていなかった1990年以前の輸血歴が男性において4.20倍、有意なリスク要因であることが分かり、2003年に国際的専門誌であるStroke34 2781-2787)に発表致しました。

そこで、くも膜下出血以外の脳卒中や虚血性心疾患などの循環器疾患についても同様に輸血歴がリスク要因となりうるのではないかと考え、日本人における1990年以前の輸血歴と脳卒中及び虚血性心疾患による死亡との関連を男女別に検討し、専門誌に発表しました(Cerebrovascular Diseases 2005;20: 164-171掲載)。

 

198890年に全国45地区で研究参加時に行ったアンケート時点で、脳卒中や虚血性心疾患、がんの既往がなく、輸血歴の有無についてのアンケートに回答があった88,312人(男性 36,823人、女性 51,489人)について検討しました。輸血歴に回答のあった参加者のうち、9,361人(10.6%, 男性3,632人、 女性5,729人)が輸血の既往がありました。

1990年以前の輸血の既往歴は、全ての循環器疾患の死亡リスクが有意に上昇していた。

くも膜下出血を除く脳内出血、虚血性脳卒中(脳梗塞)、虚血性心疾患(心筋梗塞)のそれぞれについて、輸血歴との関連を検討した結果、いずれも有意に死亡リスク上昇が認められ、循環器疾患と関係の強い要因である年齢、高血圧症、糖尿病、喫煙、アルコール摂取、体型(Body Mass Index)について補正を行った後でも、脳内出血で2.16倍、脳梗塞で1.63倍、心筋梗塞で1.66倍、有意にリスク上昇が認められました。

男女別では、脳内出血では男性で2.33倍、女性で1.97倍の有意なリスク上昇が認められましたが、脳梗塞、心筋梗塞では男性でのみ1.92倍、1.71倍の有意なリスク上昇が認められ、女性では有意差は認められませんでした。くも膜下出血では、男性でのみ4.20倍のリスク上昇が認められたことも含めて、輸血歴は女性よりも男性に関連が強く、虚血性疾患よりも出血性疾患との関連が強いことが示唆されました。

日本における輸血の歴史

本研究のアンケート調査が行われた198890年は、200ml / 400ml全血輸血が輸血の主流であり、輸血後肝炎がまだ多くみられました。当時はまさに日本の血液事業にとっての変革期であり、日本赤十字社の血液事業の歴史によれば(http://wanonaka.jp/blood/history.html参照)、1985年にHIV抗体スクリーニングの実施、1989年にHCVC型肝炎ウィルス抗体検査)のスクリーニング検査が開発され、1991年から本格的な献血基準の見直しが実施されたとあります。白血球による輸血の副作用が問題となり、対策が取られ始めたのはさらに後で、1994年に輸血時に白血球除去フィルターが導入されるようになり、1996年から輸血前放射線照射が開始されるようになりました。現在行われている保存前白血球除去成分輸血が全ての輸血用血液製剤で実施されるようになったのは2007年からです。

輸血が循環器疾患に関係するメカニズム

献血の歴史から、1990年以前に行われた輸血が、くも膜下出血、脳内出血、虚血性脳卒中(脳梗塞)、虚血性心疾患(心筋梗塞)と関連するメカニズムの仮説として、「輸血に関連した免疫修飾」「HCVに代表される輸血関連感染症」が考えられました。

動脈硬化症など血管障害の発生に免疫応答が強く関連していることは様々な実験結果から立証されています。また、輸血用血液に含まれる白血球に起因する有害事象として、輸血関連移植片対宿主病(TAGVHD)、免疫修飾(TRIM)などが知られています。

免疫修飾の代表的な例としては、献血者の白血球が含まれている血液を輸血すると輸血された患者には、術後感染症が発生するリスクや様々ながんが再発するリスクが有意に高いことが広く知られています。また、輸血に関連した術後感染症の発生率の上昇は、白血球除去フィルターを使用することで有意に抑制されることも研究結果で知られています。

一方、慢性感染が脳卒中や虚血性心疾患など循環器疾患の原因となりうることも多くの疫学的研究で報告されています。ただ、HCVなどの血液感染が直接的に循環器疾患の罹患もしくは死亡リスクと関連したとする報告はなく、その可能性は低いと考えられました。また、本研究はHCVの血清情報がないため、検証することはできませんでした。

以上から、輸血に関連して慢性的に免疫応答が惹起されることが、循環器疾患の発症メカニズムに関係しているのではないかと我々は考えました。

 

この研究結果とメカニズムの仮説は、さらなる疫学的研究、実験的研究によって検証される必要があると考えています。